自分の感受性ぐらい

高校時代の恩師(部活の顧問)に先日会ってきた。
とある病気を患っており、もう長くないということで10年振りくらいだろうか、同窓生数人で集まって短時間だけど挨拶に行ってきた。
先生の顔色も良く今も日常生活に特段支障はない様子で、いつもと変わらない割と和やかなムードの時間を過ごしたが、もう二度と会うことは出来ないのかもしれない。

帰り道にふと、学生の時代に先生に紹介してもらったとある詩を思い出す。
当時は意味を良く分かっていなかったが、今改めて読み返してみると色々と思うことが多い。


自分の感受性くらい

茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて 

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか 

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし 

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった 

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄 

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ


この詩の作者、茨木のり子さんは幼少時代を戦時下で過ごしていて、この詩が出来た背景や当時の心境を以下のように語っている。

一億玉砕で、みんな死ね死ねという時でしたね。それに対して、おかしい んじゃないか、死ぬことが忠義だったら生まれてこないことが一番の忠義になるんじ ゃないかという疑問は子供心にあったんです。

 ただ、それを押し込めてたわけですよね。こんなこと考えるのは非国民だからって 。そうして戦争が終わって初めて、あのときの疑問は正しかったんだなってわかった わけなんです。』(茨木のり子さん談)

戦争中と比較すると切迫感が全く違うかもしれないけど、今にも通じるところがある。少子高齢化・社会構造の変化に加えて、コロナ渦がより一層先行きの不透明感に拍車をかける今の時代。

悲観的な報道、相反する正義の話に加え、政治的経済的な利害が加わり何を信じて生きればいいのか正直分からなくなる。
だから常に自分に問い続けなくてはいけない。

周りに流されていないか。

自分の意思はあるのか。

思考停止していないか。

自分の人生を自分で決めているか。


先生がこの詩をどういう思いで自分たちに贈ってくれたのかは聞けずじまいだったけど、それでも先の見えない今の時代を生きて行くうえで大切な一つの教えだとは思う。
そんな感じ。


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