社畜も無職もどっちも辛いと思う。


こんばんは。

平日で終わらない仕事を持ち帰り、週末に自宅で仕事をする日々が続いています。
最近は結局のところ、ちょっと転職したところで働き方を根本的に見直さない限り今の仕事のスタイルは変わることはないのだろうと悟り始めました。

無職の時に思ったこと

端的に言えば無気力になる。

朝、起きる理由がないと起きれないと言うこと。誰かに会う、何処かに出かける。
布団から出るには理由がいるということを知りました。

無職の期間はせいぜい3、4ヶ月でしたがこの生活が10年、20年続くのは正直辛いなと、、、

適度な強制や義務は生きるうえで自分には必要なんだなと実感しました。(そうでない猛者もいるようですが。。)

再び働き始めて思うこと

ぶっちゃけきつい。

朝、起きる理由がてんこ盛り過ぎて、目覚ましよりも先に目が覚めてしまう。

休みのための休みではなく。
仕事のための休みになってしまう。(これ以上働いたら明日のパフォーマンス落ちるから寝よみたいな感じ)

布団に入らない理由がたくさんできる。

あ~この追いまれ方はきっと今の職種や業界にいる限り、ひょっとしたらサラリーマンでいる限り逃れられないのかな。

そんな確信を得るようなりました。



あれ?
結局どっちも辛いやんw

両極端は良くない

釈迦は出家したのち、自分自身を痛めつけるような厳しい苦行を次々行いました。
しかし一向に悟りを開くことは出来ず、彼は最終的に苦行は無意味だという考えに行きつきます。

そして『楽』だけでなく『苦』も否定し、両極端な行動は避けなさいと説きました。

所謂『中道』というやつです。

『楽』の行き着き先は虚無感や自己否定なのかもしれません。
『苦』の行き着く先は過労死や鬱病なのかもしれません。

だらけすぎず、追い込みすぎず。
どれだけ自分にとって適度な状態を維持するか、それがこれからの生き方で必要な事なのだろうと感じています。

今のところ自分の中で朧気ながら出ている答えは『自分のペースで働く』ということ。

ただ、組織に属して働いている以上は組織のペースで働くことを余儀なくされるし、そこには納期であったり、ノルマであったり、責任というものから逃れることはできません。

どうしても『苦』の方に偏ってしまいます。
中道で生きると言っても世の中の仕組み的にもそうはいかない部分もあります。

すぐに答えが出るような問題ではないですが、自分の中の『中道』を見つけていきたいと思います。


帰りの新幹線での戯言。



0 件のコメント :

コメントを投稿