死にたきゃ一人で死ね論争の違和感










こんばんは。
今週人身事故に巻き込まれました。

朝の通勤時間帯ということもあり、駅でのアナウンスを聞いた瞬間の乗客の舌打ちっぷりが半端じゃなかったです。

近くにいた学生?の集団が『死ぬなら迷惑かけずに死ねよ』的な会話をしていましたが、今年はこの言葉を本当に良く聞くようになりました。(川崎の事件とか京アニの事件とか)

死にたきゃ一人で死ね論争が紛糾するわけ

川崎の事件とか京アニの事件のように多くの人を巻き添えにして自殺を図る事件(京アニは死んでないけど)が起きるたびに『死にたきゃ一人で死ね』論争が巻き起こります。

ある人は、事件に巻き込まれた当人や遺族の気持ちを考えれば当然の発言だと、、、

またある人は、同じように死を考えている人を余計に追い込んだり、刺激することになるから止めてほしいと、、、

難しい問題だと思います。


どっちの意見も何となくは分かるので、自分個人としてはどっちが正しいとか言うつもりはないけど、この『死にたきゃ一人で死ね』はどの立場の人が、誰に対して言っているのかによって受け取り方が大きく変わるということです。

『事件に巻き込まれた当事者や遺族』が『事件を起こした当人』に言うならこれは感情的にはやむを得ない部分もあると思います。

逆に『事件と関係ない人』が『自殺を考えている人』に言うならこれは、もう少し他に掛ける言葉があるんじゃないの、という話になるでしょう。

そこまでの発言の意図が十分に表現されないまま、ツイッターやニュースのコメント欄の制限された文字数で情報が発信されるため、人によって解釈が変わり議論が紛糾している部分もあるのかなと思います。

まぁ軽々しく使う言葉ではないよね。

これからも、同じような事件が起こるたびにこの議論は続いてくのかもしれません。






2 件のコメント :

  1. たぶん電車に飛び込むような人はその時点で判断力を失ってるわけだから、なんぼ正論いってもダメなんだと思う。
    判断力を失う状況までに何とかしないといけないんだろうけど

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  2. >正論いってもダメなんだと思う
    これは確かにそうかもしれませんね。

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