あの世も階級社会なのだろうか


こんばんは。
ひさしぶりに祖母の墓参りに行ってきました。

戒名の話

戒名ってありまりますよね。
仏教の葬式で亡くなった人につける名前のようなものです。
うちの婆ちゃんにも戒名が付いています。

この戒名、名前に肩書のようなランクを示す部分があり、お葬式の時に支払う戒名料の金額によってランクが変わるのです。なんで死んだ後までそんな肩書のようなものをあの世に持ち込まなといけないのか、、、


故人に戒名を付ける(←まぁわかる)
元々は仏門に入った者に対して付けられる名前らしく、生前に付けるものだったようです。そこから死んで仏門に入ることになる死者に対して戒名を付けるようになったのは何となく納得します。


戒名にランクがある(←まぁ許せる)
個人的には死んだ後もランク付けされるのはどうかと思う気がする反面、故人の人望や世の中への貢献などを踏まえて尊敬や親しみの意味で結果的に戒名がランク付けのようになってしまうなら悪いことではない気はしています。


戒名にお金を払う(←うーん
ここからはだんだん怪しくなってくる、お金に余裕のある人が徳を積む、寄付と言った意味合いの任意性のあるものならまぁ納得する。払うも払わないも金額も自由、気持ち程度のモノという意味合いならまぁいいかな。


戒名のランクはお金で買える(←ふぁ?)
戒名のランクがお金で決まるという側面があること、ここに関しては『?』が付かざるを得ない。
お金とランクが紐づいてしまうと、どうしてもそこには世間体やら見栄の要素が入ってしまう。金銭的な余裕がない遺族によってはランクの低い戒名は負い目のようなものを感じてしまうのかもしれない。大切な人が死んだ時ですらそんな見栄や負い目は感じるべきではない。

一方亡くなった故人はランク付けされた新しい名刺を持って三途の川を渡り、彼岸で自己紹介をしてそこでマウントを取り合う。そんなあの世の光景が目に浮かぶ。


肩書なんか気にしないでありのまま生きろ言うのも仏教。
その反面、お金であの世にも肩書を持ち込もうとするのも仏教。

何この矛盾。


寺だってお金が必要

戒名にだって由来や歴史があり始まったもので、もともとは意味のあるものだったのかもしれない。でも前述したような人の見栄や不安に付け込んだ資本主義的な言わば『ビジネス』は本当に仏教の教えに沿ったものなのだろうか。


さんざん現世で肩書や階級の世界を生きて来て、死んだ後ですら同じ世界が待っている、、、お釈迦様はきっとそんなことは言っていない、般若心経にもそんなことは書いていない。


そうは言っても今の世の中やっぱり生きていくためにはお金は必要なこともわかる。
実際問題、住職だって食べっていかなくてはならない。お寺の運営に、お墓の維持にお金がかかる。
だったらもっと実情を正直に話して、素直に寄付を募るべきだろう。


きっとお釈迦様だって
『そんなら、まぁしゃーないわ。』って言ってくれるんじゃないだろうか。



2 件のコメント :

  1. 各人が勇気をもって葬式も戒名も止めればいいだけなんだが、なかなか世間体を気にしてしまいできない弱みをうまくついてる。
    お坊さんはほんとに怖いもの知らずだ。仏罰が怖くないんだろうか?

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    1. いわゆる坊主の不信心というやつですかね。

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