遍路41日目 霧の境内

遍路41日目、予報通り天気は雨だった。宿の女将さんの話では讃岐は昨日梅雨入りしたとのこと。例年より少し早いらしい。宿の女将さんと他の遍路さんに挨拶をし、宿を一番に出る。今日は83番の一宮寺までの予定。高松市内まで行くことになる。早速6km先の81番の白峰寺を目指す。

雨の遍路はもう慣れてきた。何も考えず、下向いて、地図見てGOだ。しばらく歩くと白峰寺がある山が見えてきた。あれを越えていく。
雨が強まる中、ぬかるんだ山道を一歩ずつ上っていく。普段は鳥や虫の鳴き声がする山だか今日は静かだ、雨の音しか聞こえない。
所々道が川になってしまい渡るのにだいぶ苦労した。靴がすぐグショグショになる。靴が濡れると足の皮かふやけてマメが剥けやすくなるから地味につらい。薄暗く、孤独な山は人の無力感や不安を大きくする。

山道の途中で菩薩を見かける。遍路道にはいたるところに菩薩やお地蔵様がおり、中には相当古いものもある。
遍路道にあるいくつもの地蔵や祠などを見ると昔は『祈り』や『信仰心』というものは今よりももっと身近で欠かせないものなのだったのかもしれないと考えてしまう。例えるならスマホやコンビニのような(ちょっと違うか?)

個人的に思うことだが、人は自分の力ではどうにもならない問題や得体の知れない不安にぶつかったときに祈る(すがる)気がする。それが信仰というものに繋がって来たのだろう。

雨が降らず飢饉が起きた時、疫病が流行した時、地震が起きた時。どうすることもできず、昔の人は何かにすがり、祈ったのだろう。でも今は人の力でどうにか出来ることが多くなりすぎている。食料生産や流通の力で特定の地域だけ飢饉が起きることなどまずあり得ないし、医学の進歩により治せる病気の数も飛躍的に増えた。地震のメカニズムだって解明されている。祈る機会ってどんどん減っていく。それって信仰心の衰退につながるんだろう。お寺や神社も徐々にその役目を終えていくのかも知れない。

そんなことを考えていたら八十一番札所、白峰寺に着いた。

そのまま休むこと無く5km先の根香寺を目指す。雨は相変わらず降り続け、さらに山頂には雲がかかり視界の悪い道を進んでいく。

八十二番札所、根香寺に到着(霧が、、)
誰もいない、靄のかかった境内は少し神秘的な感じがした。

その後下山を開始する、次は12km先の一宮寺だ。雨の山道遍路は中々休憩することができず朝から歩き通しだ。ザックを背負った肩がピキピキ痛む。。。
途中でジャンクルのような道を進み、雨露で全身グショグショになる。体が冷える。(道が合ってるのかだいぶ不安。)


その後無事、市街地まで降りてくることができた。25km以上休憩なしで歩き続けた。流石に疲労がたまる。

八十三番札所、一宮寺。

参拝が終わる頃には雨はあがっていた。お寺の方はもう疲れ切っていてあまり覚えてない。

宿に向かう途中のコインランドリーにて靴の洗濯機、乾燥機を発見する。ナイスタイミング。試しに使ってみたが仕上がりは上々で靴がホカホカになる。
今日はビジネスホテルに宿泊、完全に疲れて夕飯も食べず寝落ちした。

歩行距離:31km
霊場:白峰寺、根香寺、一宮寺
宿:ビジネスホテル栗林

後5つか。


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