部活で泣けて仕事で泣けないのは何故だろう


高校野球の季節ですね。

毎年、9回2アウトの一塁にヘッドスライディングする球児の姿を見るととても熱い思いがこみ上げてきます。

私もテニス部で部活に熱中していた高校時代があり、引退試合で負けた後は悔しさと寂しさと色々な思いが混ざった懐かしい記憶を思い出します。(泣いてないけど)

私の学校は県ではそこそこ強豪校でベスト8ぐらいに毎年入る学校でした。
練習も結構ハードで、

朝練:7:00~8:30
午後練:16:00~19:30

をこなし、テスト前以外は基本的に土日も練習で、先輩にも顧問にもしょっちゅう怒られていました。
ただ不思議とやめたい思ったことはなく、日々自分が力をつけていくことと試合で勝ち進むことがうれしくて夢中で練習していました。

最後の大会で負けたときは力を出し切れなかった「悔しさ」やもう部活ができない「寂しさ」などがあいなり泣きそうになりました。(泣いてないけど。)

それに比べて、部活以上に人生をささげて日々戦っている仕事はどうでしょうか?

同じように毎朝、8:30には欠かさず出社し、深夜残業、徹夜まであります。
毎日、上司やお客に怒られながら賢明に歯を食いしばって働いています。ただそこまでして取り組んでいる仕事が失敗したとか、大成功したとかで自分が泣くかといわれると「絶対に泣かない」と思います。

なぜでしょうか?

一言でまとめると「情熱」なんだと思います。
今の仕事もやりがいは感じるときはあるものの「情熱」のようなものはあまり、感じていません。

なんとなく情熱を持てない理由は

①自分の頑張りだけではどうにもならない要素が多すぎる
→事業環境や上司の判断、体制の変更等、個人の努力だけではどうにもならない部分でPJの成否が決まってしまう部分が多々あることです。PL学園の様な部員募集停止など組織的な判断の前には個人は無力になります。

②常に複数のプロジェクトが動いていて、達成感に浸っている暇がない
→常に2、3つの案件を同時並行でこなしているため、1つのPJが終わるころには別のPJが走り始めているので常に何かに追われている精神状態になっていることです。
甲子園を戦いながら、学校に戻ってバスケの練習もしているような状態です。

③どこかで誰かに負担を押し付けている負い目がある
→納期を守る、利益を出すといことが史上命題なわけなので、その分どこかで誰かに皺寄せが行くことになります。(下請け会社が多いですが)そんなの気にしなければもっと楽に仕事ができるのですが、やはりどこかで負い目を感じてしまいますね。
チームの勝利のために、真面目に3年間努力してきた3年生を外して、練習をさぼりがちなスーパールーキーをスタメンにするイメージでしょうか。

④PJメンバーが同じ方向を向いていない
→これも難しい問題で私にとってのゴールと上司にとってのゴールが違うことが多々あるわけです。監督は優勝を目指しているが選手は本塁打王を目指している。だから送りバントでもめる、そんなところでしょうか。


色々書きましたが、極論を言うとやはり「強制されている」ということだと思います。
強制されていることはどんなに結果を出そうと、失敗しようと心は震えないといことでしょうか。

『苦しくなければ仕事じゃない』、『好きなことを仕事にしよう』など様々な仕事論を見てきましたが、結局まだ『自分にとって』というところまでは落とし込めていません。

まだまだ修行がたりませんね。


0 件のコメント :

コメントを投稿